人生100年時代のキャリア。
様々な転機をしなやかに乗り越えて、次の一歩やキャリアへ踏み出した方々や地域や社会にむけて事業活動されている方々をご紹介します。
第1回目:フリーライター いとう 啓子さん
第2回目:「整頓学」主宰 馬渕 正彦さん
第3回目:旅行会社おはようトラベル代表取締役、野村 国康さん
第4回目:インテリアコーディネーター 笠原 利恵さん
第5回目の今回は、オリジナルキャラクターやポップな色合いで独自の世界観を表現、現在は企業広告や書籍のイラスト、絵本やオリジナル雑貨など多彩な活動をされているYOSSANに突撃インタビューです。
「なにか表現したい」という欲求が強かった
YOSSANの描いた絵からは、音楽が聞こえてきそうだったり、物語を感じます。
なにか絵のルーツなど、子どもの頃から現在のお仕事までのお話を聴かせてください。
母が絵本作家になりたかったようで、普段から展覧会など連れて行ってくれました。直接作家と会って話す機会が多かった思い出があります。それもあり、幼稚園のころから絵描きになりたいと思っていました。
幼稚園のころ絵を描いたら大人に褒められたのが嬉しくていつも絵を描いていました。母が押入れとかに紙を貼ってくれて「どこでも描いていいよ」と。私のことをいつも応援してくれたのが母です。ありがたいです。
将来なりたい職業は、絵描き、ピアニスト、まんが家など、なにか表現したいという欲求が強かったです。普段は友達に話しかけられないくらいシャイでした。でも絵を描いていると声をかけてもらえるので、私にとって絵は人や社会とのコミュニケーションツールでした。ピアノか絵かどちらの道に進むか迷っていましたが、15歳の時に「絵の道に進もう、そして10年後には作家になって個展を開こう」と決め、宣言しました。そして絵の学校に通い、大学を受験。美大に入学しました。
「これからは(画家も)パソコンをつかえないと」という絵の塾の先生の助言で、イラストをパソコンと自分の手で描くという2つの技術を大学で身につけました。
そして、いつの間にか絵本作家を目指していましたので、就職する際には「絵本を完成させるにはデザイン力が必要」と気づいて、デザイン会社に就職しました。
そこで気づいたのは「みんなデザインを学び知識を身につけてから就職するのに、自分は絵しか描いてこなかった」ということです。
面接用に一週間で、パッケージデザインのポートフォリオを提出。なんとか入社出来たものの、この時代は自分の勉強不足を実感して、落ち込むことも多かったです。
休日はひたすらデパートに行って、美味しそうにみえるパッケージの紙質や素材、色やデザインなど自分で研究する日々。ようやく6年半経って会社を辞める際「一年前になれたね」と言われました。
一方で、デザイナーとして揉まれている間「イラストレーターのYOSSAN」の個展準備を進めました。企画展、グループ展は多数参加しました。
2004年にカレー屋さんで念願の初個展。2回目はギャラリーでの個展で「くるみ割り人形」の絵本の原画、それまで書きためた絵を展示してピアノの演奏もしました。“自分の世界観を表現できる”と、やりたかったことを詰め込んだ個展になりました。
2005年は絵本業界で有名なギャラリーVIEさんで個展を行う事ができました。2009年に会社を退社、そして2010年に「イラストレーター 絵本作家 YOSSAN」として独立しました。

2011年頃、滋賀のギャラリー咲楽さんからのお声がけで、展示会参加、雑貨販売、自費出版した絵本の原画展を行いました。絵本は、京都での個展他、百貨店で販売し、ラジオで宣伝をしました。2013年に東京で個展をはじめて開催しました。
引越・出産で仕事がストップ、自分のペースをつかむまで
とても行動的!順調にご自分が描いた「夢」を実現されてますね。
行動を起こす度に、自分のやりたいことがどんどん見えてきました。一方で結婚、引越、出産で仕事に集中できなかったり、結婚前はパートをしながら仕事をしたりと自分ではいつも模索していると感じています。
出産の時には稲城に越してきましたが、知り合いがいない見知らぬ土地で産後というのもあり、仕事がほぼストップしてしまいました。
両親は関西で、旦那は夜遅い帰宅。3ヶ月後受注を受け始めましたが、お仕事はあまり増えませんでした。今まで仕事に熱中してきた自分が子どもと向き合う日々で生活スタイルが変わり生後10ヶ月くらいまで産後鬱らしき症状になっていました。
でも良かったことがありました。稲城長沼駅の『くらすクラス』とご縁があり、徐々に地域の人たちとつながりが生まれ、子連れでも大丈夫な自分の居場所ができました。さらに、今度は地域の方からイラストのお仕事をいただくようになりました。

子供が1歳で保育園に預ける事ができ、少し自分のペースが掴めてきた頃から、イラストレーターのプロの団体に入会したり、ご紹介で出版社へポートフォリオを持参したりしはじめました。地道に活動をしていくうちに出版社からもお仕事が入るようになりました。
最近はクリエイターエキスポに出店して企業から楽譜のお仕事や教材のお仕事をいただきました。12月はアーティストのカジヒデキさんが選んだ曲に合わせてレコードジャケットをつくる企画展に参加しました。現在は絵本のお仕事も頂いており楽しく制作しております。


地域関連では、2018年に稲城の地図を何かに見立てた絵の「いいえいなぎです」の個展を稲城長沼のペアテラスで行いお仕事が増えました。ICBCのご縁では、絵本のお仕事等をいただき、ご紹介も増えています。
私は結局”やる人”なんだ
YOSSANの明るいトーンの色彩のように、「思わぬこと」が起こっても
いつも柔軟に明るく乗り越えているように感じます。今までを振り返ってみていかがですか?
挫折して、絵を皆の前に出したくない時はあります。でも、絵を描きたくなくなることはなかったです。「絵」がタイミングよく人やお仕事を連れてきて、絵のお仕事を辞めない流れになっているように感じます。そしてお仕事や住む土地、人間関係が変わっていくタイミングの時、何かに導かれているような感じがします。
絶望の淵に立った時ほど家の中に引きこもるのではなく、外に出ていったのがよかったと思います。人と話すだけで今まで見えなかった未来に気づきます。希望を捨てずにゆっくりでも歩み続けること。やり続けたからこそチャンスが舞い降りてきたと感じています。
それにこれは大学卒業の際、大学の先生の絵本作家の駒原みのり先生が仰ってくださった言葉なのですが、「あなたは何も言わなくてもやり続ける子だから、ほっといても大丈夫」という言葉に支えられています。すごい応援だな、ああ私は(何があっても)結局”やる人”なんだと。
頑張れるのは、周りの友人や関わりのある人々が、音楽や絵で有名な成功者になっていっているのが強いかもしれません。ゼロからずっと継続し、成功しているまでの姿を間近で見てきているのでそれが励みになっているのもあります。
「がんばればカタチになる」「自分にもできる」「いつか有名になる」と思っています。

YOSSAN、これからの目標は
とても元気になるお話をありがとうございます。
今後の目標についてよかったら教えてください。
15歳の時、10年後個展を開こうという想いが実現して嬉しかったです。25歳では35歳で自分の本が全国に出回ることを目標にしました。35歳に決めたのは45歳には世界中に自分の本が羽ばたいてほしいことです。
今は世界に向けて、「ボローニャ国際絵本原画展」のコンペに応募中です。絵本作家として、簡単に手に取れる映画、美術館のようでもある絵本を、子供達に手にとってもらって、いろんな世界を知ってもらいたい、世界中の人たちと絵本でつながりたいと考えています。
私の仕事や人との出会いは絵で開かれていきました。自分が直接明るい気分にできなくても、絵をみんなに楽しんでもらうことで明るい気分になればいいなと。その想いはずっと変わっていません。
なので、まず自分が絵の道で有名になって、いままで応援してくれた人に恩返しをしたいです。浮き沈みをしながらも絵の道を続けている人になりたいです。
これからも、一生ずっと絵を描いていると思うので、おばあさんになるまでは夢を叶えておきたいです。
(インタビュアー ルスリール 浜田有里恵)

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